


旧市街を歩いているうちに、いつの間にか日が暮れていました。
旧市街をあちこち見て回るのは、普通の旅行者なら一日あれば十分な行程だと思います。
でも私は、一日を遅く始めて早く終える、少し怠け者の旅行者です。
そんな私にとって、旧市街は一日で歩ききるには広すぎる場所だったのかもしれません。
仕方なく夕食をとり、散歩を終えることになりました。
散歩は終わりましたが、実はそれは新しい旅の始まりでもあります。
私は、日が沈んだあとの夜の時間こそが、旅の中でより大切だと思っています。
一日の動線やスケジュールは、昼の散歩よりも、夜の食事とその後の飲酒を中心に考えるタイプです。
だからこそ、夜でも安全な国である韓国や日本を主に旅しているのだと思います。
いずれにしても、食事やお酒の話は別の投稿で書いているので、
ここでは再び旧市街の話に戻ります。
別の日、また旧市街を歩き始めました。
今日は旧木浦税関からスタートして、足の向くままに歩いてみるつもりです。
市場や埠頭のある地域なので、面白い建物が多い通りのように感じます。

旧木浦税関は、その名の通り、かつて木浦税関があった場所です。
現在は、旧税関倉庫の跡地で美食文化ギャラリーが運営されています。
そのすぐ前には、旧税関の敷地そのものが保存されています。


ただ「昔の税関跡だな」と通り過ぎてしまうには、
ここには韓国近現代史の痛みも刻まれています。
この税関は、かつて中央情報部の木浦分室として使われていたからです。
5・18民主化運動 木浦史跡第4号の碑文によると、
5・18光州民主化運動の当時、海上封鎖令が敷かれ、
それに怒ったデモ隊がこの場所を焼き払ったと記されています。
民主化人士に対する拷問も行われた場所だと言われています。
日本の植民地支配期に強制的な開港とともに建てられた税関が、
その後、軍事独裁体制の時代に市民を弾圧する機関の建物として使われたという事実は、
韓国の近現代史をそのまま映し出している場所のように感じられます。











足の向くままに歩きました。
路地を通るたびに変わった建物が現れ、
その建物を写真に撮ると、
さらに奥の路地に面白い建物が見えてきます。
そんなふうに、建物に導かれるまま、
街に導かれるまま、
方向感覚を失ったかのように、しばらく歩き続けました。
本当にさまざまな建物が混在しています。
ただ一つはっきりしているのは、
「最近」の建物が一つもないということです。
日本の植民地支配期に建てられたもの、
解放後に建てられたもの、
そして1960〜70年代に建てられたように見えるものなど、
文字通り、韓国の近現代に建てられた建物ばかりです。
その時代の痕跡と、
当時の暮らしの姿がそのまま残り、
この通りに、はっきりと違った空気を生み出しています。



そうして歩いているうちに、
現在は大衆音楽の殿堂として使われている
旧 湖南銀行 木浦支店に出会いました。
建築様式は、間違いなく日本の植民地支配期のものです。
しかし湖南銀行は、
日本の資本に対抗するため、
朝鮮人による資本によって設立された銀行だったそうです。
建物の規模や様式も、
旧 東洋拓殖株式会社に引けを取らないよう、
堂々と造られたと言われています。
写真をよく見ると、
木浦の漢字が少しおかしいことに気づきます。
「浦」の右上にあるはずの点が、一つ欠けているのです。
当時の設立者が、
この点は大韓独立の後に打つと誓った、
という話が伝えられています。



木浦の旧市街は、本当に多彩です。
ありふれた地方の繁華街の路地のようで退屈になったかと思えば、
ところどころに現れる独特な建物に引き寄せられて、
スマートフォンを取り出し、写真を撮り、
何気なく通り過ぎた路地の奥に、
もっと面白いものがあるのではないかと思って、
目的地を忘れ、ぐるぐると歩き回ってしまいます。
そうしているうちに、足が痛くなり、
少し休もうか、という気持ちになります。
そんなふうに、街角ごとの風景を集めていくと、
ああ、街はこうして時間をたたえるのだな、
都市はこうして歳月を保管するのだな、
そんなことを考えるようになります。
そこに人が集まれば、
新しい時間と新しい文化が、
古いものの上に、また積み重なっていくのでしょう。
木浦は、まだ新しいものが多く重なっていないからこそ、
これほど多くの過去の時間を抱え、
それを隠さずに見せている街です。
木浦の旧市街は、私にとって、そんな場所です。
韓国のおじさん、zzoosでした。

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