[ ]

木浦の歴史を歩く。

#14 木浦近代歴史文化空間


旧市街を歩きます。
木浦の旧市街を、ゆっくり歩きます。

冬は厳しいですが、南の海から吹く風は、ソウルのそれよりは耐えられます。
そこに午後の日差しが加わると、散歩はなかなか悪くありません。

旧市街の路地をどこを歩いても、木浦ならではの雰囲気は感じられますが、
途中で目的地を決めておかないと、進む方向すら定まりません。

最初に向かったのは、木浦ユダル小学校です。

木浦の旧市街の一部は国家登録文化遺産に指定されていますが、
その西の端にあたる場所がここでした。

ここは日本の植民地支配期に、木浦公立尋常小学校があった場所で、
今も建物が一棟残っています。

1階は教室、2階は講堂として使われていたようですが、
別の用途に転用されたあと、安全上の問題で現在は使用されていないようです。

ユダル小学校の周辺には、
まるで歴史文化空間の始まりを告げるかのように、
日本の植民地支配期に建てられたと思われる日本式木造建築が多く残っています。

実際に国家登録文化遺産として登録されている建物です。

人が住んでいる建物もあれば、
カフェや飲食店として使われている建物もあります。
そのせいか、この通りの雰囲気は、群山を思い出させるところもあります。

午後4時。
太陽はかなり傾いています。

今回は、木浦近代歴史館 2館を訪れました。
ここは日本の植民地支配期に、東洋拓殖株式会社の木浦支店として使われていた建物です。
名前は株式会社でしたが、
実際には植民地の経済構造を本国に有利な形に調整し、
土地収奪や資源利用を担っていた国策会社でした。

日本領事館として使われていた木浦近代歴史館 1館とあわせて、
この二つの建物は、植民地支配体制の中核をなしていた機関が置かれていた場所です。
そして現在は、二つとも、
その歴史を忘れないための博物館として使われている点も、意味深く感じられます。

すぐ近くには、敬洞聖堂があります。
この聖堂は、朝鮮戦争直後の1954年に建てられたそうです。

韓国現代史の悲しみが色濃く残る時代に、
人々を慰めていた場所だったのではないかと考えると、
木浦の旧市街を
「韓国の近現代史が幾重にも積み重なった場所」
と表現するのも、決して大げさではない気がします。

旧市街を歩き続けていると、
いつ建てられたのか、
どんな様式なのか分からない建物にも多く出会います。

けれど、どこか懐かしく、
子どもの頃の記憶を呼び起こすような建物たちです。

幼少期を過ごした釜山・影島にも、
似たような建物がたくさんあった気がします。

少し急な道を上り、
今回は木浦鎭址を見に来ました。

ここは朝鮮後期に、水軍が駐屯していた木浦鎭があった場所です。

当時の木浦は、まだ本格的な都市の姿を備えていなかったそうです。
水軍が駐屯し、
小さな港があり、
その周囲に農漁民が暮らす、小さな集落だったといいます。

つまり木浦鎭では、
政府の文官である「サット」がいたのではなく、
水軍の指揮官が業務を行っていたのでしょう。

木浦鎭が丘の上に置かれた理由は、
やはり周囲の海を見渡すことができたからなのでしょう。

今でも木浦市内と近くの海を一望できます。
ケーブルカーに乗ったり、ユダル山に登ったりする景色には及びませんが、
旧市街を歩きながら気軽に立ち寄れる風景としては、
十分に見応えがあります。

最後に、ここは
少年金大中 勉強部屋という名前の小さな博物館です。

大韓民国 第15代大統領 金大中 元大統領が、
幼い頃に木浦で勉強していた建物を記念館にした場所です。
小さくて素朴な建物ですが、
きれいに管理されていました。

机が置かれた2階から窓の外を見ると、
木浦の埠頭と海が見えます。

元大統領がこの景色を見ながら、
どんなことを考えていたのかは分かりませんが、
私にはそろそろ、


夕食を何にしようか
という悩みが浮かんできました。

韓国のおじさん、zzoosでした。


This post is part of

zzoos

live in seoul, love in drink, snap in breeze


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です