今回の旅行の目的地を木浦に決めたのは、大きく2つの理由がありました。
一つは、木浦のグルメ店(マッチブ)です。
これまで木浦を訪れるたびに、おいしくて保存しておいたお店もありますし、おすすめされたものの、まだ行けていないお店もありました。
今回の機会に、そういった場所を一度巡ってみたいと思いました。
二つ目の理由は、木浦の旧市街をゆっくりと探検してみたかったからです。
不思議なことに、木浦に来る時はいつも車を持ってきていました。
そのため、旧市街の路地裏を歩いてみる機会がありませんでした。
どうしても「車」があると、目的地から次の目的地へと空間をジャンプしながら旅行することになりますから。
今回は一人で、車なしの旅行だったので、気になっていた場所をゆっくりと歩く良い機会でした。

以前の投稿でもお話しした通り、木浦は大きく「旧市街」と「下端(ハダン)新都市」に分かれます。
最近、地元の方々の生活圏はほとんどが新都市に移りました。住居も商業空間も、あちら側がメインです。
しかし、旅行者にとって魅力的なのは旧市街です。
木浦駅の東側の商店街エリアから始まり、駅の南側の水産市場、そして木浦旅客ターミナルまで続く広範囲な地域を、すべて「旧市街」と呼びます。
下端新都市が開発されるまでは、この区域が木浦の中心地でした。
「港」と「駅」がある区域。どの都市においても中心地にならざるを得ない場所ですね。


この区域が旅行者にとって魅力的な理由は、まさに旧市街の路地の雰囲気のおかげです。
他の都市の路地と木浦の路地は、その雰囲気がかなり違います。
木浦は植民地時代、港湾都市として急速に規模が拡大し、港の機能だけでなく行政機能も集中的に配置された都市でした。
群山(クンサン)も港を中心に発展しましたが(特に米の搬出港として)、木浦は官公庁や銀行、会社が集まった区域が形成され、都市の「近代」が色濃く残っている場所でもあります。
釜山や仁川のような大きな港湾都市は、解放後や戦争を経て都市が急激に巨大化し、その過程で昔の建物や風景が多く変わってしまいました。
これに加え、木浦は旧市街を大々的に完全につくり直すよりは、1990年代の下端のような新都市開発によって、都市の機能が郊外へと分散される流れが強かったのです。
そのため、旧市街には植民地時代から戦後を経て産業化時代までの時間が幾重にも積み重なって残っており、それが木浦の路地ならではの雰囲気を作り出したのだと思います。
今回の旅行では、そんな路地を歩き回りながら、古い建物の痕跡や雰囲気を写真に収めておきたいと思いました。




地方の小都市には、いつも「明洞(ミョンドン)」と呼ばれる場所があります。私より上の世代の方々には「市内(シネ)」という呼び名のほうが馴染みがある場所ですね。
木浦の「旧市街商店街エリア」が、まさにそのような場所です。
お年寄りは「シネ」と呼び、私と同年代の人たちは「ミョンドン」と呼んでいた場所。
現在はかつてほどの勢いはありませんが、旧市街を代表する老舗のパン屋である「コロンバン製菓店」をはじめ、古い商店が今も営業を続けている場所です。



コロンバン製菓店のすぐ前に、特徴的な建物が一つあります。一目見ただけで、日本式の屋根のラインがすぐに目に入ります。
さらに珍しい点は、これが石造りの建物であるということです。いろいろな意味で独特です。
近づいて説明文を読んでみると、「ク・ドンボンウォンサ・モッポビョルウォン」と書かれています。
ドンボンウォンサ?どこかで聞いたことがある気がして検索してみると……「ひがしほんがんじ(東本願寺)」ですね。
京都にある、あの静かなお寺のことでした。植民地時代に、東本願寺の別院をここに建てたのでしょう。


さて、そろそろ歩いて南へ、つまり「木浦近代歴史館」や「旅客船ターミナル」、「木浦鎮(モッポジン)址」、「水産市場」がある方へも降りてみます。
ある意味、こちらのエリアの方が見応えのある建物が多いかもしれません。
実際に木浦市では、この区域を「屋根のない博物館」として、「木浦近代歴史文化空間」と呼んでいました。


この区域で撮った写真が少し多いので、一つの記事で全てお見せするのは難しそうです。
これからいくつかの投稿にわたって、木浦の旧市街の写真をさらにお見せする予定です.
今回の旅行の本当の目的地だった場所。木浦、さらには韓国の近現代史が幾重にも積み重なっている場所。
それが、木浦の旧市街の路地裏です。
韓国のおじさん、zzoosでした。

コメントを残す