


ランチのあとも、ホテルのチェックインまでまだ時間があった。朝早く動きはじめたせいで、旅の初日がやたらと長い。ふつうの旅なら、ホテルに入ってひと休みしてから夕食に出るんだけど。
犀川沿いを歩こうとして、やめた。かわりに選んだのが長町武家屋敷跡だ。武家屋敷跡というのは、武士たちが暮らした屋敷が集まっていた場所のこと。ぼくはかんたんに「武士の街」と呼んでいる。
長町は、ランチを食べたカフェからそれほど遠くなかった。食後の体力でじゅうぶん歩ける距離だ。
ただ、観光客がかなり多い。それなりの覚悟は必要かもしれない。




金沢はよく京都と比べられる。どちらも戦火を免れ、古い建物がそのまま残っている都市だ。かつて金沢は「小京都」とも呼ばれていた。
でも金沢の人たちはそれを嫌うらしい。無理もない。京都に似ているけど及ばない、という意味になってしまうから。
いったいどれほど似ているのか。そんな疑問と期待を抱えながら長町を歩いた。そして、ひとつの結論に至った。
金沢は、京都とはちがう都市だ。
もちろん、どちらも伝統的な建物がよく保存されていて、観光客が多いという点では似ている。でも金沢には、金沢だけの明確な個性がある。



金沢は城下町だ。城を中心に形成された街である。城と、その下の武家屋敷、商人の地区、寺社の区域といった区画があり、それがいまもよく保存されている。城には大名、つまり藩主が住み、その家臣である武士たちが近くに暮らす。敵の侵入を防ぐため、道はわざと曲がりくねって造られている場所も多い。
でも京都は、大名の街ではなかった。天皇の街だった。
御所がある都市で、膨大な人口が集まる大都市だったから、碁盤の目のような計画道路が特徴だ。そして京都は、武士よりも商人や職人が集まった街だった。
そういう違いが、二つの街の姿を異なるものにしたんだと思う。



長町の通りをはじめて歩いたとき、妙な違和感があった。
かつて京都がとても好きで、かなりの時間を京都で過ごしたことがある。祇園や先斗町で感じていたものとは、まったくちがう感覚だった。なぜだろうと考えてみたら、答えは「塀」だった。
長町には、明るい黄土色の塀が高くめぐらされている。そして巨大な門をくぐらないと、屋敷の中に入れない。
この塀は、京都では見かけないものだった。
さきほど書いたように、京都は商人や職人の街だった。商人はお客さんを迎える人たちだ。高い塀で遮ってはいけない。だから祇園の通りには塀がない。視線を遮るために格子窓を使うくらいが、外と内を仕切る装置だった。
長町を歩いて感じた妙な違和感は、この塀だったのだ。
そしてそれが、金沢が京都とはちがう、武士の街だったことを感じさせてくれる部分だ。塀というのは、敵から自分と家族を守るための装置だから。


もちろん金沢にも、ひがし茶屋街のような商業的な通りはある。そこは祇園や先斗町に近い雰囲気を感じられる。理由はさきほどと同じで、商業的な空間には塀が必要ないからだ。
だからこそ、金沢の本質をいちばんよく表しているのは、この長町武家屋敷跡だとぼくは思う。
韓国のおじさん、zzoosでした。

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