日本人って、なんでも「三大〇〇」にするのがすきなんですよね。三大庭園、三大城、三大松原……。大したものからそうでもないものまで、とにかくなんでも三つ選んで名前をつけるんです。
始まりは江戸時代の儒学者たちだと言われています。最近では自治体まで乗り出して、新しい「三大〇〇」を競って作っては宣伝しているようです。
わたしが旅してきたところにも、そういうタイトルを持つばしょがいくつかあります。
日本三景のひとつ、厳島 — 宮島にいったことがあります。日本三大瀑布のひとつ、那智の滝も見てきました。日本三大夜景と呼ばれるところは、函館と長崎の二ヶ所を訪れましたし、日本三大松原のひとつ、虹の松原にも足を運びました。日本三大城のひとつ、熊本城は何度も訪れています。
ずいぶん昔にいったところが多くて、ポストのリンクがバラバラだったり、そもそも書けていないものもあったりするんですが……まあ、ちょっと自慢したかったので。


そんなわけで、今回の旅でもまた新しい「三大タイトル」を持つばしょを訪れることになりました。
日本三名園のひとつ、兼六園です。
三名園というのは、金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園のことだそうです。それぞれを雪月花にあてはめることもあるといいます。冬の雪が美しい兼六園、秋の月が美しい後楽園、春の花が美しい偕楽園、と。
兼六という名前は、宋の詩人が挙げた「庭園が持てる六つの名勝をすべて兼ね備えている」という意味で名付けられたそうです。


これだけ有名なばしょだから、閉園一時間前という遅い時間でも、入園しようとするひとがたくさんいましたね。
わたしは金沢城を見てから石川門を出たので、橋を渡ってすぐの桂坂口から入りました。入園料は320円。
少し歩くと、すぐに霞ヶ池が現れて、その端に徽軫灯籠(ことじとうろう)が見えてきます。
灯籠の前には写真を撮ろうとするひとたちが列を作っていました。なんでだろうと思ったら、かなり有名なものだそうで。台座が二本の脚で作られていて、そのうち一本は水の中に沈んでいる、自然との調和がどうとか、なんとか。わたしには、ただの石灯籠にしか見えなかったんですけどね。
それでわたしは、霞ヶ池の静かな風景を写真に収めました。

兼六園は決まった動線のないばしょで、小道がそれぞれ枝分かれしてつながっているんです。だから自分で動線を作りながら歩くことになるんですが、そうするとついグーグルマップを眺めてしまって。すぐ隣に「Panoramic Viewpoint」と書かれたばしょを見つけたので、いってみたんですが。
ただの平凡な市内の景色で、しかも木に遮られてちゃんと見えもしませんでした。江戸時代に比べて、いまの木々が育ちすぎてしまったんでしょうか。


兼六園でいちばん目を引くのは、この大きな銅像かもしれません。日本の古代神話に登場する武神、日本武尊です。江戸時代の庭園に突然こんな古代神話の人物が立っているのが不思議でした。
この銅像、実は慰霊碑なんです。明治維新以後、日本最後の内戦である西南戦争で亡くなった兵士たちを慰めるために建てられたものだそうです。でも名前は明治紀念之標とつけられました。明治政府はこの戦争の勝利で新しい時代を開いたと考えていたため、このような名前をつけたのだとか。
かつて加賀藩が江戸幕府への忠誠を示すために金沢城の天守閣を再建しなかったように、金沢のひとたちは明治政府にも忠誠を示さなければならなかったんです。だからこの慰霊碑の名前は、「紀念」の標にならざるをえなかった。
いつも二番手として、忠誠を証明しつづけなければならない、そのやるせなさのようなものでしょうか。


正直、金沢でいちばん美しいばしょはここ、兼六園だと思っていました。散策にも最高のばしょです。あちこちに水が流れ、大きな池もあり、木々も多く、よく整備されていて、細い道が多いから観覧客が多くても互いにあまり行き合わないようになっていて、区域ごとに雰囲気も少しずつちがうので、変奏される景色を楽しむ面白さもあります。
でも。
写真をきれいに撮れるばしょが、なかなかないんです。


そんなとき、花見橋を見つけて、ここで待ちながら写真と動画を撮ることにしました。なんとなく、勘が働いたんです。ここで一枚いけるかもという、そういう勘が。
でも、大した写真は撮れませんでした。
兼六園の雰囲気を一枚で見せられるような写真が必要だと思っていたのに、兼六園のどこにいっても、そういう写真は撮れなかったんです。




ここはひとつのドラマチックな場面として記憶されるばしょではないという結論に至りました。かなり広い庭園です。区域ごとに雰囲気も少しずつ変わります。圧倒的な建造物や大きな木一本が印象を左右するような庭園ではないんです。
歩くたびに少しずつ変わる風景、歩みを進めるたびに微かに変化する音。そんな小さな変化が積み重なって、この大きな庭園全体の雰囲気を作り出しているんだと思いました。
だから、最初は大したことないように見えた徽軫灯籠の非対称の脚でさえも、この大きな庭園全体の雰囲気に影響を与えるディテールのひとつだったんですね。


兼六園の雰囲気は、写真で見るよりも実際に訪れたほうがずっといいです。だから、素敵な写真を一枚撮ろうという気持ちはいったん脇に置いて、兼六園のすみずみを歩きながら、静かな雰囲気を感じてみることをおすすめしたいです。
旅のあのとき、わたしはなかなか気持ちを切り替えられませんでした。もっといい写真を撮れたはずだという未練と悔しさが残っていて。いい写真が撮れなかったという喪失感と自己嫌悪みたいなものも、正直ありました。「ああ、今日は写真をちゃんと撮れなかった!」というあの気持ちですね。
でも、いまになって振り返ってみると、兼六園は一枚の写真で表現できるばしょじゃなかったんですね。一枚一枚の写真が集まって、こうして兼六園の雰囲気を少しでも伝えることができているのを見ると、そう思います。

午後六時。閉園時間になったので、真弓坂口から出ました。目の前に21世紀美術館が見える、あの交差点です。
さて、夕ごはんを食べにいかなければ。
その日はとても疲れていたので、特別なお店を探す余裕はなく、食べログで予約できるお店の中から選ぶしかありませんでした。旅の二日目の夜の話は、次のポストで続けます。
韓国のおじさん、zzoosでした。

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