木々の間の道、オホリドリを歩きました。
天気がよくて、気分もよかったです。
ずっと歩き続けたかったけど、この日の目標は金沢城と兼六園を両方まわることだったので、そうはいきませんでした。
鼠多門のあたりで、東神門を通って尾山神社へ入りました。
お城へ行く前に、金沢を代表する神社をさきに見ておきたかったんです。
一般的な参拝ルートは尾山神社 神門から入るのだと思います。
でも、ぼくは反対側の入口から入ったので、ここに並んでいる写真は通常の参拝方向とは逆になっています。

江戸時代、金沢の地域は加賀藩と呼ばれていました。
現在の石川県とまったく同じではないですが、だいたい同じエリアです。
加賀藩は当時、徳川将軍家をのぞいて圧倒的な富と軍事力をもっていた、ナンバーワンの藩だったそうです。
金沢を旅していると、ときどき目にする「加賀百万石」という言葉。
あれはまさにその時代のことで、こめの生産量が百万石をこえた加賀藩の富と力をあらわす言葉なんだそうです。
その加賀藩の繁栄の礎を築いたのが、前田家初代藩主の前田利家。
金沢の人々にとって、利家は象徴的な人物で、尾山神社はまさにかれをまつる神社です。


尾山神社の境内には、金谷神社という小さな神社があります。
前田家の2代以降の藩主をまつる神社で、初代は尾山神社に、それ以降の藩主はここにまつられているんです。
尾山神社は、初代藩主・前田利家の奥方であるまつもあわせてまつっています。
まつの方は、家の危機の中でも家族と子供たちを守り抜いた人物として有名です。そのため、子宝や子育てを願う神社としても広く知られています。




拝殿の前についてみると、ほんとうに人がたくさんいます。
参拝する人と写真を撮る人でにぎわっていました。
やっぱり金沢は観光客が多いですね。
拝殿というのは、人々が参拝する神社の中心となる建物のことです。
実際に神さまをおまつりしているのは本殿なんですが、本殿はたいてい奥深くに隠されていて、直接参拝できるばしょではないそうです。
そして拝殿の前にある社務所は、予想外にとても現代的な建物でした。
こういうのをみると、金沢は伝統と現代がなかなかうまくとけあっている街だなあと感じます。
兼六園のそばにある21世紀美術館を思うと、その気持ちがさらに深くなります。




拝殿のそばに、池があります。
かなり広くて、散策路まで整備された、ちゃんとした庭園です。
尾山神社ができるまえ、ここは金沢城の内部にあったエリアでした。
藩主が日ごろ政務をとっていた金谷御殿という場所が、尾山神社になったんです。
その御殿のそばにあった庭園だから、規模がかなりのものになっているんだそうです。
ここにしばらく座っていました。
観光客を眺めたり、そばに飛んできてしばらく羽を休めているカラスを眺めたり、青い空の下で明るい光を受けながら風にゆれる新緑の木々を眺めたり、そして一枚の葉っぱが池に落ちるのを目で追ったり。
尾山神社は思ったよりずっといいばしょでした。
これまで旅のなかでまわってきた神社とは、すこしちがう感じのある空間です。
たぶん、この庭園のせいだと思います。



さて、ひと休みしたあしを再び動かして、拝殿の前に立つ尾山神社の大門、神門へとむかいます。
これまで日本を旅するなかでたくさんの神社をみてきましたが、こんな形の門は初めてです。
だからでしょうか、日本の国指定重要文化財にもなっているそうです。
基壇部は西洋式の組積造で、3つのアーチがみえます。
そして各アーチのキーストーンには、前田家の家紋である梅の紋様が刻まれています。
2階と3階にも、華やかな中国風の装飾がほどこされた独特の意匠があり、とくに3階にはオランダ風のステンドグラスが設置されています。
夜は内部から灯りをともして、灯台の役割まで果たしていたそうです。
神社の門にステンドグラス?
ほんとうに、不思議な門です。



金沢を代表する神社、尾山神社はここまでです。
天気がよかったからか、季節がよかったからか、ここはとても気に入ったばしょでした。
とくに、庭園のそばのベンチに座って、のんびりと風景をながめていた時間がよかったです。
きた道をもどって、こんどは鼠多門橋(ねずみたもんばし)を渡り、鼠多門(ねずみたもん)をくぐりました。
つぎのポストでは、金沢城へはいります。
韓国のおじさん、zzoosでした。

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